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"If I have seen a little further it is by standing on the shoulders of Giants."
もし私が、より遠くを眺めることができたとしたら、それは巨人の肩に乗ったからです。

僕がまだ高校生の頃。確か2年の頃。
ノーベル賞受賞者3人の講演会に行った。確か一人で。
数学とか、物理とか大好きだったから。たぶん。
その時に、話題に出てきていた有名なアイザック・ニュートンの言葉。ふと思い出した。
今調べたら、この言葉には諸説あるらしいが、それはおいといて。

巨人の肩はいうまでもなく、これまで積み重ねられてきた科学者たちの功績である。
巨人の肩に上るのは、「より高みに登る」ためではなく、「より遠くを見通す」ためである。
これは、デザインするときに歴史に学ぶ理由である。
やっぱりその分考え込まれている。でもそれを繰り返してはいけない。
自分の解釈と、現在の社会を反映させたとき、奥行きのあるものができる。
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僕は、とある人の作る服をとても気に入ってきている。
その人が作る服のなかにも、僕の好き嫌いははっきりある。
その人が作る服以外にも、いろんなお店をまわって、
いいなと感じることはあるけど買うまでには至らない。

いままで何となくそうだったのだが、改めて考えてみると、
どんな人が作っているっていうのをよく知っているからかもしれない。
この人はこんなことを考えていて、こんなことを大事にしてて、こんなことを嫌っている。
もちろん実際にお話をしたことはないから、人づてやメディアによる情報だ。
でもその服を着てみればわかることはたくさんある。

これって建築にもいえそうだ。
午前、大濠公園を走る。寒くもなく、良い天気。
走ると、まだ膝の下が痛い。
走っているときに意識してみると、左右の足のアーチ高の違いがわかる。
左の方がペタって着地するのに対して、右はクッションが効いている気がする。
身近に陸上部はいないが、研究室の先生が元・陸上部しかもまだまだ走れそう。
先生に走り方教えてもらいたいが、なんてお願いすべきか。
お願いできるレベルでもない。
でも卒業までには、先生に10kmで勝てるようになりたい。

といっても先生はこの前48歳になったのだが。そこら辺のやつには負けなさそう。
でも、25歳が48歳に負けてては話にならないのだ。

10km
0:55:09

This is it見てきました。
自分の持てる力を全部使って歌ってる姿がよかったです。
彼が、歌に向かうように僕も論文を!
090311馬見原橋

日曜日、熊本県立大学で行われた青木淳さんの講演会に出かけました。
講演のテーマは「  マ  キ  シ  マ  ル  な  操  作  」
馬見原橋に始まりlouis vittonの店舗、住宅、青森県立美術館とつづき、
最後に、最近のプロジェクトについての発表でした。

一貫して感じたのは、独特なコンテクストの読み方、使い方。
青木さんは超敏感で繊細な嗅覚を持っていて、それで街を読み解いている。

「マキシマルな操作」とは
「いまそこにある」複数の条件を持った現状からスタートすること
設計途中で出てくるさまざまな条件を切り捨てずに、全部解決できる手段を探すこと
それを変形(自分なりに解釈し直す)して、豊かにしていくこと
といったことだと僕は受け取りました。

周辺住宅に溶け込ませた住宅作品の模型写真を見て、僕は(すごさに)身震いしました。
その街のいいところ/悪いところを引っ張ってきて、よくしてしまう。

世界(街)を見る目=嗅覚は個人的なんだけれども、
ほかの大勢の人にも通じる普遍性を持っていることが大事。
それができるようになれば、と願いトレーニングする毎日です。

でもそもそも、何でそんなにコンテクストに頼るのか?
もちろんそこの敷地になじませるためということもありそうですが、
コンテクストを読み込むことで、設計に他者性(歴史、文化、法律など)を持ち込み、
自分の思いもよらなかったところに設計をジャンプさせるためじゃないでしょうか。
091103木造打上げ
レヴィ=ストロースが死去した。

大学1年か2年のとき文化人類学入門という講義をとったときが最初の出会い。
次は、卒業論文でオランダ構造主義について書いたとき。

もっと勉強します。

ヴィヨンの妻みてきました。
「大谷はどこまでやれば佐知が離れるのか試しているけど、佐知は変わらず大谷のそばにいる」
という大谷役の浅野さんの言葉がまさしく言い当ててる感じ。

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